ビル・フリゼール(Bill Frisell)は、1951年生まれのアメリカのジャズギタリストです。ボリュームペダルやディレイを駆使した浮遊感のある音色を武器に、ジャズにフォークやカントリーといったアメリカのルーツ音楽を溶け込ませた独自のスタイルを確立しました。ウェス・モンゴメリーとは?(人物紹介記事)で紹介したようなビバップ由来のジャズギター像を大きく塗り替えた存在で、パット・メセニーやジョン・スコフィールドと並び称されることも多い人物です。なお、日本語では「ビル・フリーゼル」という表記も見られますが、本記事では「ビル・フリゼール」で統一します。
基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | ウィリアム・リチャード・フリゼール(William Richard Frisell) |
| 生没年 | 1951年3月18日生まれ(存命) |
| 出身 | アメリカ・メリーランド州ボルチモア(コロラド州デンバー育ち) |
| 楽器 | エレクトリックギター(テレキャスター系が中心)、アコースティックギター |
| 主な活動期 | 1980年代〜現在 |
経歴
クラリネットからジャズギターへ(1951年〜1970年代)
1951年、ボルチモアに生まれ、幼少期からデンバーで育ちました。父はチューバやベースの奏者で、フリゼール自身は少年期にクラリネットを学び、10代でギターに転向してサーフロックやR&Bのバンドで演奏します。1960年代後半には地元のギタリスト、デイル・ブルーニングに師事してジャズに開眼。1970年代前半はノーザン・コロラド大学で名手ジョニー・スミスに学んだのち、ボストンのバークリー音楽大学へ進み、憧れのジム・ホールのレッスンも受けています。
ECMデビューとニューヨーク時代(1978年〜1980年代)
1978年にはベルギーに約1年滞在して作曲に打ち込み、この時期に書きためた曲が初期作品の素材になったとされます。エバーハルト・ウェーバーとの出会いからドイツの名門レーベルECMの仕事に関わるようになり、パット・メセニーの推薦でドラマーのポール・モチアンの『Psalm』(1981年録音、1982年発表)に参加。以後ECMの「ハウス・ギタリスト」的な存在となり、1983年にリーダー・デビュー作『In Line』を発表します。1980年代にはニューヨークのダウンタウン・シーンでも活躍し、ジョン・ゾーンの前衛バンド「ネイキッド・シティ」にも参加しました。ジョー・ロヴァーノとのポール・モチアン・トリオは、2011年のモチアン死去まで約30年続きます。
シアトル移住とアメリカーナ路線の確立(1988年〜1990年代)
1988年にシアトルへ移住し、カーミット・ドリスコル、ジョーイ・バロンらとの自己のバンドで活動を本格化させます。1990年代にはエレクトラ・ノンサッチから『Have a Little Faith』(1993年)、『This Land』(1994年)、『Nashville』(1997年)などを発表し、「アメリカーナ(フォークやカントリーなどアメリカのルーツ音楽)をジャズの語法で描く」独自路線を確立しました。
グラミー受賞から現在まで(2000年代〜)
2000年にシアトル近郊のベインブリッジ島へ移り、2005年には『Unspeakable』(2004年発表)で第47回グラミー賞「最優秀コンテンポラリー・ジャズ・アルバム」を受賞しました(グラミー賞には通算6回ノミネート)。2012年には初代ドリス・デューク・アーティストに選出され、2017年にはバークリー音楽大学から名誉博士号を受け、同年ブルックリンへ移住します。2019年からはブルーノートと契約し、『HARMONY』(2019年)、『Valentine』(2020年)、『FOUR』(2022年)、『Orchestras』(2024年)と、トリオ編成を中心に現役で活動を続けています。
音楽的特徴
「空間」を生かすスウェル奏法とループ
フリゼールの代名詞は、ボリュームペダルで音の立ち上がり(アタック)を消すスウェル奏法と、ディレイやループ、リバーブを重ねたアンビエントな音作りです。ペダルスティールや人の声のように滲む音色は、一度聴けば彼だとわかる強い個性になっています。
ジャンルを横断するアメリカーナ感覚
ジャズを土台にしながら、フォーク、カントリー、ブルース、ロック、映画音楽までを一つの言語として扱うのも大きな特徴です。この傾向は1990年代後半以降ますます顕著になり、「アメリカ音楽の記憶を編集するギタリスト」と評されることもあります。
引き算のメロディと幅広い音色
師であるジム・ホール譲りの和声感覚と歌心を受け継ぎつつ、速弾きではなく、音数を絞ったメロディと大胆な「間」で聴かせるのがフリゼール流です。一方でRATなどの歪みやノイズも辞さない広い音色パレットを持ち、静寂と轟音を行き来する振れ幅の大きさも魅力です。
おすすめアルバム
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『Have a Little Faith』(1993年、Elektra Nonesuch)
1992年3月にニューヨークのRPMスタジオで録音され、ウェイン・ホロヴィッツ(Wayne Horvitz)のプロデュースにより翌1993年に発表された全曲カバー作です。メンバーはフリゼール(ギター)のほか、ドン・バイロン(クラリネット、バスクラリネット)、ガイ・クルセヴェック(アコーディオン)、カーミット・ドリスコル(ベース)、ジョーイ・バロン(ドラム)という異色の室内楽的編成。アーロン・コープランド『ビリー・ザ・キッド』からボブ・ディラン、マディ・ウォーターズ、ソニー・ロリンズ、マドンナの「Live to Tell」、表題曲のジョン・ハイアットまで、アメリカ音楽史をまるごと一枚に収めた選曲が圧巻です。クラリネットとアコーディオンが生む柔らかな響きと、突如噴き出す歪みや集団即興との対比が聴きどころで、AllMusicでは5つ星満点、「1990年代で最も創意に富んだ録音の一つ」と評されました。ジャズの「スタンダード」という概念をアメリカ音楽全体へ広げた、フリゼール流アメリカーナの出発点といえる一枚です。
ほかにまず聴きたいのは次の3枚です。『In Line』(1983年、ECM)はソロとデュオによる静謐なリーダー・デビュー作で、浮遊するギターサウンドの原点。『Nashville』(1997年、Nonesuch)はナッシュビルのブルーグラス系名手たちと共演した転換点で、ダウンビート誌の年間最優秀ジャズアルバムに選出されました。『Unspeakable』(2004年、Nonesuch)はサンプリングやストリングスを導入した異色作で、2005年のグラミー賞受賞作です。
使用機材
長年のメインはフェンダー・テレキャスター系のギターで、1974年製テレキャスターなどを愛用してきました。近年はMastery製ブリッジとキャラハン(Callahan)製ピックアップを搭載したJ.W. Black製のテレキャスター・タイプを使用しているとされます。1980〜90年代にはKleinのヘッドレス・ギターを多用していましたが、現在はほとんど使っていないとされ、ほかに1975年製ストラトキャスターの使用歴もあります。
アンプは、ツアーではデラックス・リバーブやプリンストンなどのフェンダー系、スタジオや自宅ではギブソンGA-18をはじめとするヴィンテージの小型アンプやCarr製アンプを使うとされます。エフェクターはLine 6 DL4(ディレイ/ルーパー)、Strymon Flint、ProCo RAT、ボリュームペダルなどが知られていますが、機材情報の多くはインタビューやフォーラム等に由来する非公式なものなので、参考程度に捉えてください。
影響・評価
ニューヨーク・タイムズはフリゼールを「現代で最も個性的で独創的な即興ギタリストの一人」と評し、ダウンビート誌の1990年批評家投票ではギタリスト部門の1位に選出されました。ジャズギター史の観点では、ジム・ホール譲りの「歌うジャズギター」をエフェクトやループ、アメリカーナの要素で拡張した存在といえます。ウェス・モンゴメリー以来続いてきた「ジャズギター=ビバップの語彙」という枠組みを崩し、パット・メセニー、ジョン・スコフィールドと並ぶ「ポスト・バップ世代の三大ギタリスト」の一人に数えられることも少なくありません。また、ジャンルを自在に行き来したキャリアは、ジュリアン・ラージやメアリー・ハルヴォーソンといった後続に「ジャンルを持たないギタリスト」という選択肢を開きました。フィリップ・ワトソンによる評伝『Bill Frisell, Beautiful Dreamer』の副題「アメリカ音楽のサウンドを変えたギタリスト」が示す通り、その評価はジャズの枠内にとどまりません。
まとめ
ビル・フリゼールは、スウェル奏法とループによる浮遊感のある音色で、ジャズとアメリカのルーツ音楽を一つにつないだギタリストです。速弾きに頼らず、音数を絞ったメロディと「間」で聴かせるスタイルは、ジャズギターの表現の幅を大きく広げました。まず一枚選ぶなら、コープランドからマドンナまでを室内楽的な編成でカバーした『Have a Little Faith』がおすすめです。そこから『Nashville』や近年のトリオ作へ進めば、40年以上にわたる彼の音楽の変遷をたどることができるはずです。



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