オクターブ奏法で甘く歌ったウェス・モンゴメリー、コード・ワークでギター1本の宇宙を築いたジョー・パス(ウェスについてはウェス・モンゴメリーとは?(人物紹介記事)で詳しく解説しています)。ジャズギターの巨匠にはそれぞれ「武器」がありますが、今回の主役グラント・グリーン(Grant Green)の武器は驚くほど潔い。コードをほとんど弾かず、オクターブも使わず、単音一本でホーンのように歌い上げるのです。ブルーノート・レーベルの黄金期を支え、死後はヒップホップ世代から「最もサンプリングされたギタリストの一人」と呼ばれた名手。その経歴・音楽的特徴・名盤・機材をまとめて解説します。
基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | Grant Green(グラント・グリーン)※芸名ではなく本名 |
| 生没年 | 1935年6月6日〜1979年1月31日(享年43) |
| 出身 | アメリカ・ミズーリ州セントルイス |
| 楽器 | エレクトリック・ギター(フルアコ) |
| 主な活動期 | 1959〜1979年(最盛期は1961〜1965年のブルーノート専属期) |
経歴
セントルイスの教会からニューヨークへ(1935〜1960年)
ブルースやフォークを弾く父の手ほどきで、小学生からギターを始めたグリーン。13歳でゴスペル(教会音楽)のアンサンブルの一員としてプロ初舞台を踏みます。この教会体験が生涯の音楽の根になりました。ほぼ独学ながら地元セントルイスでサックス奏者ジミー・フォレストらと共演し、初レコーディングは24歳、フォレスト名義の『All the Gin Is Gone』(1959年録音/発売は1965年)でした。
同じ頃、アルトサックス奏者ルー・ドナルドソンがセントルイスのクラブでグリーンを見出し、ニューヨークへ連れて行った――と語られています。ただし録音の時系列には異説もあり、象徴的なエピソードとして楽しむのがよさそうです。いずれにせよ1959〜60年頃、グリーンはニューヨークへ進出します。
ブルーノート専属・驚異の量産期(1961〜1965年)
1961年録音の初リーダー作『Grant’s First Stand』を皮切りに、グリーンはブルーノートの”ハウス・ギタリスト”に。リーダー作とサイドマン参加の両面で録音を重ね、1961〜65年には同時期のどのミュージシャンよりも多くのアルバムに参加したとされる量産ぶりでした。1962年には『ダウンビート』誌批評家投票で「最優秀新人(New Star)」(ギター部門)に選出されています。
ピアニストのソニー・クラークとのセッション(1961〜62年録音)は当時ほとんど発売されず、2人の死後、まず日本で『Nigeria』『Oleo』『Gooden’s Corner』として初リリースされました。名盤を先に世に出したのが日本だった――日本のファンには嬉しい逸話です。
休止と復帰、早すぎる晩年(1967〜1979年)
1967〜69年頃はヘロイン依存などにより、ほぼ活動を休止。1969年にブルーノートへ復帰すると、R&Bやファンク色の濃いソウルジャズ路線へ舵を切り、『Green Is Beautiful』(1970年発表)や映画サントラ『The Final Comedown』(1972年発表)を制作します。晩年は入院を繰り返しながらも『Easy』(1978年発表)などの録音を続けましたが、1979年1月31日、演奏のため滞在していたニューヨークで車中に倒れ、心臓発作のためこの世を去ります。享年43。遺体は故郷セントルイスのグリーンウッド墓地に眠っています。なお息子のグラント・グリーンJr.もギタリストです。
音楽的特徴
コードをほぼ弾かず、単音で歌う
最大の特徴は、シングルノート(単音)主体の明快なフレージングです。土台はチャーリー・クリスチャン譲りのスウィング的な単音アプローチ。そこにチャーリー・パーカーらホーン奏者のように「吹く」発想を重ねました。半音階的な装飾に頼らず、直球で歌心のあるラインを紡ぐため、フレーズが耳に残りやすく、コピーの題材としても最適です。
ブルース/ゴスペル/ソウルの情感
13歳で立った教会のステージ――ゴスペル体験こそグリーンの根っこです。黒人教会音楽由来の情感が、どんなフレーズにもソウルフルに滲みます。
粘るグルーヴ
その演奏は「しなやかで、ゆったりして、ほんのりブルージーで、真にグルーヴィー」と評されました。1音1音がビートの上でよく粘り、聴いていると自然に身体が揺れる。速弾きではなくグルーヴで聴かせる名手です。
おすすめアルバム
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『Idle Moments』(1963年録音/1965年発売)
グリーンの代表作の筆頭で、日本でも長年愛される定番盤です。ジョー・ヘンダーソン(テナーサックス)、ボビー・ハッチャーソン(ヴィブラフォン)、デューク・ピアソン(ピアノ)ら豪華メンバーが集い、気だるく美しいスローの表題曲では、グリーンの単音がとろけるように歌います。リード・マイルズによるクールなジャケットも含め、”ブルーノート美学”をまるごと味わえる一枚。最初のグリーンとして自信を持っておすすめします。
このほか、単音ラインの魅力を素のまま味わうならギター・トリオ編成の『Green Street』(1961年録音)、教会仕込みの歌心なら黒人霊歌集『Feelin’ the Spirit』(1962年録音/1963年発売)、マッコイ・タイナーやエルヴィン・ジョーンズと組んだモーダルな『Matador』(1964年録音/発売は後年)も外せません。前述のソニー・クラークとの諸作、ファンク期の『Green Is Beautiful』まで進めば、グリーンの振り幅が見えてきます。
使用機材
ブルーノート黄金期のメインギターは、ギブソンES-330だったとされます。ES-335に似たダブルカッタウェイの薄胴フルアコ(完全中空ボディ)で、あのパンチのあるトーンの土台と言われる1本です。ほかにギブソンL7やエピフォン・エンペラーの使用も伝えられ、晩年はダキスト(D’Aquisto)のカスタム・フルアコを弾いたとされます。
アンプはフェンダーのツイード・デラックス説が有力ですが、これはレコーディング場所だったルディ・ヴァン・ゲルダーのスタジオに置かれていたものを使った、とも言われます。ステージやセッションではアンペグなど「その場にあるアンプを使った」という証言もあり、断定はできません。興味深いのは弟子筋にあたるジョージ・ベンソンの証言で、グリーンは「低音と高音を絞り、ミッドレンジを最大にする」設定で、あの噛みつくようなトーンを作っていたとされます。音色の鍵はギターよりアンプのセッティング――ご自宅で真似してみる価値ありです。
影響・評価
生前のグリーンはやや過小評価されがちでした。しかし現在では、チャーリー・クリスチャンの単音ラインをブルース/ゴスペルの情感でアップデートし、後続の単音派ギタリストへ橋を架けた重要人物として再評価されています。
さらに大きいのが1990年代以降の再発見です。ア・トライブ・コールド・クエストは『The Low End Theory』(1991年)の”Vibes and Stuff”で、グリーンのライブ盤『Alive!』(1970年)収録の”Down Here on the Ground”をサンプリング。のちにブルーノート音源のサンプリングで知られるUS3も、前身ユニット名義の12インチ”The Band Played the Boogie”(1991年)でグリーンの”Sookie Sookie”を使っています。DJジャイルス・ピーターソンらの英国クラブシーンでは70年代のファンク路線がレア・グルーヴの定番となり、グリーンは”アシッドジャズの父”とも呼ばれるように。ジャズ喫茶世代とクラブ世代、2つの耳をつなぐジャズギタリストなのです。
まとめ
コードもオクターブも封印し、単音一本で歌い切る。グラント・グリーンのスタイルは一見シンプルですが、だからこそ歌心とグルーヴが裸のまま問われます。まずは『Idle Moments』の表題曲をひと聴きしてください。「ギターは単音でここまで歌えるのか」と、きっと驚くはずです。



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