ジャンゴ・ラインハルト(Django Reinhardt)は、1910年生まれ、ベルギー出身のジャズギタリストです。18歳のときの火災事故で左手の薬指と小指が不自由になりながら、人差し指と中指を主体とする独自の奏法を確立し、「ジプシー・ジャズ(ジャズ・マヌーシュ)」と呼ばれるジャンルそのものを作り上げました。ヨーロッパから登場した最初の重要なジャズ・ミュージシャンの一人とも評されています。オクターブ奏法で知られるウェス・モンゴメリーとは?(人物紹介記事)のウェスと並んで、ジャズギターの歴史を語るうえで欠かせない存在です。
基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | ジャン・ラインハルト(Jean Reinhardt)。「ジャンゴ」はロマ語由来の愛称 |
| 生没年 | 1910年1月23日〜1953年5月16日(43歳没) |
| 出身 | ベルギー・リベルシー(幼少期はパリ郊外のロマのキャラバンで育つ) |
| 楽器 | ギター(初期はバンジョー・ギター、晩年はエレクトリック化したセルマー) |
| 主な活動期 | 1928年頃〜1953年 |
経歴
ロマの家系に生まれて(1910〜1927年)
1910年1月23日、ベルギーのリベルシーで生まれました。マヌーシュ(フランス語圏のロマ/シンティ系)の家系で、パリ郊外のロマのキャラバン(幌馬車の集落)を転々としながら育ちます。12歳頃に手にしたバンジョー・ギターを独学で習得し、ミュゼットのアコーディオン奏者や歌手の伴奏者として、パリのダンスホールで下積みを重ねました。
火災事故と独自奏法の確立(1928〜1930年頃)
1928年に伴奏者として初録音を果たしますが、同年11月2日、キャラバン内の火災で体の半分近くに大火傷を負い、左手の薬指と小指が不自由になります。医師からは二度とギターは弾けないだろうと言われたものの、長いリハビリの中で人差し指と中指を主体とする運指法を独自に開発。弟のジョゼフから贈られたギターを手に、演奏活動へ復帰しました。
ホット・クラブ五重奏団と戦時下の活動(1934〜1945年)
1934年、ヴァイオリニストのステファン・グラッペリと「フランス・ホット・クラブ五重奏団(Quintette du Hot Club de France)」を結成します。ドラムを持たない弦楽器のみの編成はヨーロッパ・ジャズの象徴的な存在となり、1938年にはロンドン公演も行いました。第二次世界大戦の勃発時、渡英中だったグラッペリは英国に残留し、ジャンゴはパリへ帰還。クラリネットのユベール・ロスタンを加えた新編成で、ナチ占領下のフランスでも演奏を続けました。1940年に録音された代表曲「Nuages(雲)」は10万枚を超えるヒットとなり、占領下のパリで解放への希望を象徴する「非公式のアンセム」として愛されました。
渡米、ローマ録音、そして晩年(1946〜1953年)
1946年、デューク・エリントン楽団のゲスト・ソロイストとして初の米国ツアーを行い、ニューヨークのカーネギーホールにも2夜にわたって出演しました。この渡米中にGibson ES-300などのエレクトリックギターにも触れています。1949年初頭にはローマでグラッペリと再会し、約50曲に及ぶスタジオ録音を残しました(後述する『Djangology』の音源です)。1951年にはセーヌ河畔の村サモワ=シュル=セーヌに移って半引退状態となりますが、エレクトリックに転向し、パリの若手モダン奏者たちとの新クインテットで活動を続けます。1953年、ビバップの語彙を取り込んだ最後の録音を残し、同年5月16日、フォンテーヌブローで脳出血のため43歳で急逝しました。
音楽的特徴
2本の指を主体にした左手のテクニック
火傷の後遺症で薬指と小指が自由に使えなかったため、人差し指と中指を中心に、3音構成のコードフォームや「1弦につき2音」で駆け上がるアルペジオを駆使しました。ハンディキャップを補うために生まれた運指がそのままスタイルの核となり、誰にも似ていない独自のフレージングにつながっています。
圧倒的なスウィング感とドライブする右手
強靭な手首から繰り出されるピッキングにより、アコースティックギター1本でホーン奏者と渡り合う音量とアタックを実現しました。「ラ・ポンプ」と呼ばれるジプシー・ジャズ特有のリズムギターの刻みの上を、高速のシングルノートが疾走するのがこのスタイルの醍醐味です。
ビバップを先取りした和声・装飾の語彙
クロマチック・ラン、2〜3オクターブに及ぶアルペジオ、ハーモニクス、ホーンセクションを模したトレモロ・コード、大胆な不協和音など語彙が非常に豊かで、「ビバップ以前にビバップ的な感覚を先取りしていた」と評されています。
おすすめアルバム
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『Djangology』(録音1949年1〜2月・ローマ/発売1961年・RCA Victor LPM-2319、2002年にBluebirdよりCD再発)
第二次世界大戦で離れ離れになったジャンゴとグラッペリがローマで再会し、ジャンニ・サフレッド(ピアノ)、カルロ・ペコリ(ベース)、アウレリオ・デ・カロリス(ドラム)のイタリア人リズムセクションと行ったセッションを収めた1枚で、二人にとって最後の共同録音として知られます。ローマ録音は資料により約50〜60曲超と幅があるほど大量で、ジャンゴの死後にRCAの担当者が音源を再発見し、1961年にLPとして編纂・発売しました。「Minor Swing」「Swing 42」、自身の名を冠した「Djangology」などおなじみの名曲の円熟した再演が並び、ピアノとドラムを加えたモダンな響きも聴きどころです。
このほかでは、1938〜46年のロンドン録音から「Stompin’ at Decca」などを収めた編集盤『Souvenirs』(Decca)、戦後1947年と最晩年1953年のBlue Star録音33曲でエレクトリック期〜ビバップ接近期を聴ける2枚組『Pêche à la Mouche: The Great Blue Star Sessions 1947/1953』(Verve、CDは1992年発売)がおすすめです。さらに深掘りしたい方には、全盛期のSwing/HMV録音を網羅した6枚組ボックス『The Complete Django Reinhardt and Quintet of the Hot Club of France Swing/HMV Sessions 1936–1948』(Mosaic、2000年)もあります。
使用機材
ジャンゴの代名詞といえば、フランスのセルマー(Selmer)社のアコースティックギター「Modèle Jazz」(いわゆるセルマー・マカフェリ。スプルース・トップにローズウッド・ボディ、ロングスケールが標準仕様)です。特に1940年に入手したシリアルナンバー#503を1953年に亡くなるまで愛用し、この個体は現在パリの音楽博物館(シテ・ド・ラ・ミュジック)に所蔵されています。
晩年の1950年頃からはエレクトリック化を進め、セルマーに仏Stimer社のマグネティック・ピックアップST48を装着し、同社の小型真空管アンプ(当時の写真ではM.12の使用が確認されています)と組み合わせて使用したとされています(#503のトップにはピックアップ取り付けのネジ穴が現存します)。また、前述のとおり1946年の渡米時にはGibson ES-300を弾いています。このセルマー+Stimerの組み合わせは「ジプシー・ジャズ・トーンの原点」として今も参照されています。
影響・評価
ジャンゴは「ジプシー・ジャズ(ジャズ・マヌーシュ)」というジャンルそのものの創始者であり、ヨーロッパが生んだ最初の重要なジャズ・ミュージシャンの一人とされています。ジェフ・ベックは彼を「断トツで史上最も驚異的なギタリスト」と評し、ウィリー・ネルソンやジェリー・ガルシアなどジャンルを超えた奏者が影響を公言。フランク・ヴィニョーラは「世界の主要なポピュラー音楽ギタリストのほぼ全員がラインハルトの影響下にある」と述べています。死後、一時は関心が薄れた時期もありましたが、その後のリバイバルを経て、1983年からは晩年の地サモワ=シュル=セーヌでジャンゴ・フェスティバルが毎年開催されるようになりました(2016年の水害を機に、現在は近隣のフォンテーヌブロー城の敷地に主会場を移して続いています)。
まとめ
ジャンゴ・ラインハルトは、左手のハンディキャップを独自の奏法へと転化し、ジプシー・ジャズというジャンルを打ち立てたヨーロッパ・ジャズギターの開拓者です。豊かな和声感覚と圧倒的なスウィングは、現代のギタリストにとっても学ぶところが尽きません。まず聴くなら、盟友グラッペリとの再会セッションを収めた『Djangology』(録音1949年/発売1961年)がおすすめです。「Minor Swing」や「Djangology」といった名曲の円熟した再演に、晩年のジャンゴの魅力が凝縮されています。



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