ラリー・カールトン(Larry Carlton)は、アメリカ・ロサンゼルスのスタジオシーンで頭角を現し、フュージョン(ジャズとロックなどを融合したジャンル)を代表する存在となったギタリストです。愛器ギブソンES-335にちなんだ「Mr. 335」の愛称で親しまれ、代表曲「Room 335」は発表から半世紀近くたった今もギター愛好家に弾き継がれています。若き日にはウェス・モンゴメリーとは?(人物紹介記事)で紹介したウェス・モンゴメリーらから影響を受け、ジャズの語彙とブルースの表現力を融合した「歌うトーン」を確立しました。グラミー賞4回受賞、100枚を超えるゴールドディスクへの参加と、ソロとセッションの両面で成功を収めた稀有なギタリストです。
基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | ラリー・ユージン・カールトン(Larry Eugene Carlton) |
| 生没年 | 1948年3月2日生まれ(存命) |
| 出身 | アメリカ・カリフォルニア州トーランス |
| 楽器 | ギター(ギブソンES-335ほか) |
| 主な活動期 | 1960年代後半〜現在 |
経歴
ジャズとの出会い(1948年〜1960年代)
1948年、カリフォルニア州トーランスに生まれたカールトンは、6歳でギターのレッスンを始め、1962年、14歳のときに初めてプロとして演奏しています。高校時代はサーフロックバンドで活動していましたが、ラジオで聴いたジョー・パスをきっかけにジャズへ傾倒。バーニー・ケッセル、ウェス・モンゴメリー、B.B.キング、さらにジョン・コルトレーンの『Ballads』(1963年)から強い影響を受けました。1968年には初リーダー作『With a Little Help from My Friends』を録音しています。
クルセイダーズ加入とセッションの黄金期(1970年代)
1971年、ジャズファンクの人気グループ、ザ・クルセイダーズに加入。1976年までの在籍中に13枚のアルバムに参加し、トレードマークとなるボリュームペダル奏法を確立しました。並行してロサンゼルスで最も多忙なセッションギタリストの一人となり、スティーリー・ダン『The Royal Scam』(1976年)や『Aja』(1977年)、ジョニ・ミッチェル『Court and Spark』(1974年)など数多くの名盤に参加。『The Royal Scam』収録の「Kid Charlemagne」でのソロは、ローリング・ストーン誌の「100 Greatest Guitar Songs」で80位に選ばれています。
ソロデビューとグラミー受賞(1978年〜1987年)
クルセイダーズを離れたカールトンは、ワーナー・ブラザースとソロ契約を結び、1978年に代表作『Larry Carlton(邦題: 夜の彷徨)』を発表しました。愛器にちなんで名付けた自宅スタジオ「Room 335」で録音され、同名の冒頭曲はフュージョンギターの代名詞的な曲になります。マイク・ポストと共演した「Theme from Hill Street Blues」で1981年度のグラミー賞を初受賞。1986年にMCAへ移籍し、『Alone / But Never Alone』(1986年)などを発表したのち、「Minute by Minute」で2度目のグラミー賞(1987年度)を獲得しました。
銃撃事件からの復帰と日本との縁(1988年〜現在)
1988年4月、自宅スタジオ前で何者かに首を撃たれ、左腕が一時麻痺する重傷を負いました。約7〜8か月でギターを再び弾けるまでに回復し、翌1989年にはグラミーノミネート作『On Solid Ground』を発表(本格的なステージ復帰には約2年を要しています)。この事件を機に、銃犯罪の被害者を支援する非営利団体「Helping Innocent People(HIP)」も設立しました。1990年代後半にはリー・リトナーの後任として人気ユニット、フォープレイに加入。2001年発表のスティーヴ・ルカサーとの『No Substitutions: Live in Osaka』で2002年に、B’zの松本孝弘との共作『Take Your Pick』(2010年)で2011年に、それぞれグラミー賞を受賞するなど、日本との縁の深さでも知られています。
音楽的特徴
「泣き」の甘いトーンと歌うフレージング
カールトンのサウンドの核は、セミアコースティックギター(中空構造を持つエレキギター)のES-335から生まれる甘くウォームなトーンです。ブルース由来のベンド(弦を押し上げて音程を変える奏法)の表現力と、コードトーンを的確に捉えるジャズの語彙を融合したスタイルは「ジャズとロック/ブルースの中間」と評され、後のフュージョンギターの雛形となりました。
ボリュームペダル奏法
クルセイダーズ在籍期に確立したのが、ボリュームペダルで音量の立ち上がりを操る奏法です。ピッキングのアタック(弾き始めの音)を消すことで、バイオリンやペダルスチールのように滑らかに音が立ち上がります。ジョニ・ミッチェルはカールトンのプレイを「フライフィッシング(毛針釣り)のよう」と評しました。
セッションで磨かれた伴奏力と構成力
多忙なスタジオワークで培われた、曲を壊さずに一発で決める即興アレンジ力も大きな特徴です。コードワークやオブリガート(歌の合間を埋める短いフレーズ)の引き出しが豊富で、「Kid Charlemagne」のソロに代表される、起承転結の明確なソロ作りにも定評があります。
おすすめアルバム
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『Larry Carlton(邦題: 夜の彷徨)』(1978年)
1978年発表のソロ名義の代表作で、レーベルはWarner Bros.です。自宅スタジオ「Room 335」とハリウッドのWestern Recordersで録音され、プロデュースはカールトン本人。エイブラハム・ラボリエル(ベース)、ジェフ・ポーカロ(ドラム)、グレッグ・マティソン(キーボード)、ポーリニョ・ダ・コスタ(パーカッション)らが参加しています。冒頭の「Room 335」はフュージョンギター史に残る名曲で、明るいコード進行の上を歌い切るソロは教則の定番。レイドバックした「Nite Crawler」のグルーヴや、TOTOのドラマーとしても知られるポーカロと名手ラボリエルによる鉄壁のリズム隊も聴きどころで、70年代後半の日本のフュージョンブームを象徴する一枚です。
このほかでは、アコースティックギター中心の異色作『Alone / But Never Alone』(1986年)が、メロディメーカーとしての実力を伝える一枚としておすすめです。同年のライブ盤『Last Nite』(1986年)はエレクトリックの「泣き」を全開で堪能できるグラミーノミネート作。スティーヴ・ルカサーと共演した『No Substitutions: Live in Osaka』(2001年)は大阪でのライブを収めたグラミー受賞作で、ロック寄りの熱いカールトンが聴けます。
使用機材
メインギターは、長年愛用するギブソンES-335です。1969年製とされますが、資料によっては1968年製との記述もあります。この愛器から「Mr. 335」の愛称が生まれ、ギブソンからはシグネチャーモデルも発売されました。2020年からはSire Guitarsの「Larry Carlton」シグネチャーラインを監修・使用していることでも知られ、ほかに1951年製テレキャスターや1964年製ストラトキャスターなども所有しています。
アンプは、スティーリー・ダンをはじめとするスタジオワーク期には1950年代のツイード期フェンダー・デラックス(1958年製とされます)を愛用し、「Kid Charlemagne」のソロもES-335とこの小型アンプの組み合わせで録音したと本人が語っています。その後は手工アンプの名機ダンブル(Dumble Overdrive Special)を長年メインに使用し、後年はBludotoneを使用。いずれも甘く伸びやかなトーンを支える機材です。
影響・評価
カールトンは、ウェス・モンゴメリー以降のジャズギターをロックやブルース、R&Bと接続した「フュージョンギターの完成者の一人」と位置づけられています。同時代のリー・リトナーと並び、1970年代のLAスタジオシーンの頂点とされる存在です。ES-335とチューブアンプによる甘く歌うトーンは後続のジャズ/ブルース系ギタリストの一つの理想形となり、松原正樹・今剛といった日本のフュージョン勢から、共演をグラミー受賞に結実させた松本孝弘まで、その影響は広範囲に及びます。「Room 335」がギター教育の定番曲として今も弾き継がれている点も、その評価を裏付けています。
まとめ
ラリー・カールトンは、甘く歌うトーンと確かなジャズの語彙で、フュージョンギターの型を作ったギタリストです。セッションマンとしても「Kid Charlemagne」をはじめ数々の名演を残し、グラミー賞4回受賞・19ノミネートという実績がその実力を物語ります。松本孝弘との共演グラミー受賞など、日本のギターファンにとって身近な存在でもあります。まずは代表作『Larry Carlton(邦題: 夜の彷徨)』(1978年)を手に取り、「Room 335」の歌うようなソロから体験してみてください。



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