ハーブ・エリス(Herb Ellis)は、1921年生まれ、米テキサス州出身のジャズギタリストです。1950年代にオスカー・ピーターソン・トリオの一員として活躍し、超高速テンポでも揺るがないコンピング(コード伴奏)と、テキサス育ちならではの濃厚なブルース・フィーリングで「最高のサイドマン」と評されてきました。華やかなソロで一時代を築いたウェス・モンゴメリー(人物紹介記事)のようなスター型とはひと味違う、バンド全体をスウィングさせる職人肌の名手です。この記事では、経歴・演奏スタイル・機材・おすすめアルバムを整理して紹介します。
基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | ミッチェル・ハーバート・エリス(Mitchell Herbert Ellis) |
| 生没年 | 1921年8月4日〜2010年3月28日(享年88) |
| 出身 | 米テキサス州ファーマーズヴィル(ダラス近郊) |
| 楽器 | ギター(アーチトップのエレクトリックギター) |
| 主な活動期 | 1940年代前半〜2000年代 |
経歴
テキサスの農場からビッグバンドへ(1921〜1952年)
1921年、テキサス州ファーマーズヴィルの農場に生まれました。3歳でハーモニカ、6歳頃にはバンジョーを覚え、兄のギターを独学で習得。ラジオで聴いたギタリスト、ジョージ・バーンズの演奏に衝撃を受けてジャズギターを志し、同じテキサス生まれのチャーリー・クリスチャンからも生涯にわたる影響を受けます。1941年頃にノーステキサス州立大学(現ノーステキサス大学)へ進学しますが、当時はギター専攻がなくベースを学びました。その後、1943〜45年にカサ・ロマ・オーケストラでプロとしての本格的なキャリアを開始し、1945〜47年頃はジミー・ドーシー楽団に在籍。1947年頃には楽団の同僚だったジョン・フリーゴ、ルー・カーターとトリオ「ソフト・ウインズ」を結成し(1952年まで活動)、のちにスタンダードとなる「Detour Ahead」を共作しています。
オスカー・ピーターソン・トリオの黄金期(1953〜1958年)
1953年、バーニー・ケッセルの後任として、オスカー・ピーターソン(ピアノ)、レイ・ブラウン(ベース)のトリオに加入します。これがキャリア最大の転機でした。ドラムのいないピアノ+ギター+ベースという編成は「ジャズ史上屈指の名トリオ」と評される黄金期を築き、エリスは超高速テンポでのソロと強靭な伴奏で名を上げます。同時期には、ノーマン・グランツ率いるVerveレーベルとJATP(ジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック)のハウス・リズムセクションも務め、ベン・ウェブスター、スタン・ゲッツ、ビリー・ホリデイ、ルイ・アームストロングら巨人たちの録音を支えました。リーダー作も『Ellis in Wonderland』(1956年)から始まっています。
エラの伴奏とスタジオワークの時代(1958年〜1960年代)
1958年にピーターソン・トリオを脱退します。後任はドラマーのエド・シグペンで、トリオからギターの椅子自体がなくなりました。その後はエラ・フィッツジェラルドの伴奏ギタリストとして約2年間ツアーを行います(在籍期間は資料により1957〜60年など幅があります)。1960年代はロサンゼルスに拠点を移し、テレビ番組のバンドなどで演奏する売れっ子スタジオ・ミュージシャンとして過ごしました。
コンコードでの復活と晩年(1970年代〜2010年)
1970年代にジャズの現場へ本格復帰します。Concord Jazzレーベルの看板ギタリストの一人となり、ジョー・パスとの双頭作『Seven, Come Eleven』(1974年)などを発表。さらにバーニー・ケッセル、チャーリー・バードとギター・トリオ「グレート・ギターズ」を結成し、長く活動しました。1994年にアーカンソー・ジャズ殿堂入り、1997年には母校ノーステキサス大学から名誉博士号を授与され、2010年3月28日、アルツハイマー病のためロサンゼルスの自宅で亡くなりました。
音楽的特徴
ブルース・フィーリングとバップ語法の融合
エリスの土台にあるのは、テキサス出身らしい濃厚なブルース感覚です。その上で、チャーリー・クリスチャン直系の、管楽器のように歌う単音ラインでビバップを弾き、ベンド(チョーキング)やスライドを交えたブルージーなフレージングを聴かせます。JazzTimes誌はそのスタイルを「スマートでブルージー」と評しました。
「教科書」と呼ばれるリズムギター
最大の代名詞が、ピーターソン・トリオで磨かれたパーカッシブで推進力のあるコンピングです。超高速テンポでもビートを失わない鉄壁の伴奏力は「ピアノトリオにギターが入る編成」の完成形を示したとされ、彼のリズムギターは今もお手本として参照され続けています。
カントリー由来のトワング
ビバップにカントリー・ミュージック由来の「訛り(トワング)」を混ぜた、独特のトーンとアーティキュレーション(音の発音のニュアンス)も魅力です。後年はジョー・パス、バーニー・ケッセル、タル・ファーロウらとのギター・デュオやトリオ編成を好み、掛け合いの妙で聴かせました。
おすすめアルバム
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『Nothing But the Blues』(1957年録音/1958年発売)
1957年10月11日、ハリウッドのRadio Recordersで、ノーマン・グランツのプロデュースにより録音されたVerveでの代表作です。メンバーはロイ・エルドリッジ(トランペット)、スタン・ゲッツ(テナーサックス)、レイ・ブラウン(ベース)、スタン・リーヴィー(ドラム)。最大の特徴はオリジナル8曲にピアノがいない「ピアノレス編成」で、コード楽器がギター1本しかないため、エリスのコンピングとソロの両輪を丸ごと味わえます。スウィング世代のエルドリッジとクール派のゲッツという異世代のホーンを、タイトル通り全編ブルース基調のセッションの中でひとつにまとめる手腕は、まさに「伴奏力が主役」。AllMusicとDownBeat双方が5つ星を付け、DownBeat誌のジョン・タイナンが「今年最高のジャズ・アルバムの一枚」と絶賛した、まず最初に聴きたい1枚です。
このほかでは、初期エリスのバップ度の高さがわかる『Ellis in Wonderland』(1956年)がおすすめです。オスカー・ピーターソンやレイ・ブラウンに加え、ハリー・エディソン(トランペット)、チャーリー・マリアーノ(アルトサックス)、ジミー・ジュフリーらが参加しています。最大の影響源に捧げた『Thank You, Charlie Christian』(1960年)は、彼のルーツを知るうえで外せないトリビュート作。そして1973年のコンコード・サマー・フェスティバルでのライブを収めた『Seven, Come Eleven』(1974年)は、ジョー・パスとの双頭ギターによる掛け合いが痛快で、70年代のエリス復活を告げた名演です。タイトル曲がチャーリー・クリスチャン(ベニー・グッドマンとの共作)のナンバーという点も見逃せません。
使用機材
メインギターは、長年愛用したギブソンES-175です。本人の個体は1953年製とされ(1949年製とする資料もあります)、元はP-90ピックアップ1基のモデルで、のちにハウリング対策としてハムバッカーに換装されたと伝えられています。1991年には、このES-175をベースにしたシグネチャー・モデル「ギブソンES-165ハーブ・エリス」が発売されました。ヘッドに本人のサインが入った1ピックアップ仕様で、2013年頃まで生産されています。
アンプは、後年はポリトーン(Polytone)のソリッドステート・アンプ(Mini-Bruteなど)を愛用したとされます。ポリトーンはジョー・パスやジム・ホールら多くのジャズギタリストに支持されたブランドでした。一方、初期〜中期に使用したアンプについては確かな資料が乏しく、はっきりしたことはわかっていません。
影響・評価
エリスは、チャーリー・クリスチャンの系譜を継ぐ「ブルースをくぐったバップ・ギター」の最重要人物の一人に数えられます。同系のバーニー・ケッセルと並び、1950年代の「ピアノトリオ内ギター」という難しい役割の完成形を示し、そのコンピングはリズムギターの教科書として現在も参照されています。また、Verve/JATPのハウス・ギタリストとして膨大な伴奏録音を残したことから、「ソリストである以前に最高のサイドマン」という評価も確立しました。ギブソンからシグネチャー・モデルES-165が発売されたこと、半世紀以上にわたり第一線で活動し続けた息の長さも、ジャズギター界における彼のアイコン的な地位を物語っています。
まとめ
ハーブ・エリスは、派手なソロ以上に「バンドをスウィングさせる力」で歴史に名を残したギタリストです。オスカー・ピーターソン・トリオでの鉄壁のコンピングと、テキサス育ちのブルース・フィーリングは、伴奏の大切さを教えてくれる生きた教材といえます。その魅力を一度に味わうなら、ピアノレス編成でコンピングとソロの両方が凝縮された『Nothing But the Blues』がぴったりです。ジャズギターの「支える側」の凄みを、ぜひ体感してみてください。



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