ジャズギターの歴史を語るうえで、ウェス・モンゴメリーの名前は避けて通れません(詳しくはウェス・モンゴメリーとは?(人物紹介記事)をどうぞ)。しかし、そのウェスが台頭する以前、1950年代のジャズギター界の頂点に立ち続けた男がいたことをご存じでしょうか。その名はバーニー・ケッセル。エレクトリック・ジャズギターの礎を築いたチャーリー・クリスチャンの直系にして、主要各誌の人気投票ギター部門を独占した「人気投票王」。さらにはビーチ・ボーイズ『Pet Sounds』にまで名を残す超一流スタジオマンでもありました。今回は、この万能ジャズギタリストの魅力をたっぷり紹介します。
基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | バーニー・ケッセル(Barney Kessel)※「Barney」は愛称ではなく本名として扱われています |
| 生没年 | 1923年10月17日〜2004年5月6日(享年80) |
| 出身 | アメリカ・オクラホマ州マスコギー |
| 楽器 | ジャズギター(エレクトリック/アーチトップ) |
| 主な活動期 | 1940年代初頭〜1992年(ピークは1950〜60年代) |
経歴
チャーリー・クリスチャンとの運命の出会い
1923年、オクラホマ州マスコギー生まれ。ハンガリー移民の靴店主を父に持つユダヤ系の家庭で育ちました。16歳ごろには地元の楽団ハル・プライス&ザ・ヴァーシトニアンズに参加。1日16時間以上も練習し、「フルーツケーキ(変わり者)」とあだ名されたという逸話が残っています。
転機は1940年。同じオクラホマ出身の先輩ギタリスト、チャーリー・クリスチャンの故郷オクラホマシティで演奏していたとき、客席にクリスチャン本人を発見します。自分のギターを貸してセッションに招き、その後3日間にわたってジャムをともにしました。この体験こそ「他人の真似ではなく自分のスタイルを確立しなければ」と自覚するきっかけになったと、後年のケッセル本人が語っています。
ロサンゼルスでプロの階段を駆け上がる
1940年代初頭にロサンゼルスへ移住し、チコ・マルクスのビッグバンドに約1年在籍。1944年には、レスター・ヤングらが出演した名作短編映画『Jammin’ the Blues』に出演します。その後チャーリー・バーネットやアーティ・ショウの楽団を経て、1947年にはチャーリー・パーカーのセッション録音にも参加。モダンジャズの最前線へと躍り出ました。
「人気投票王」の時代
1950年代初頭にはオスカー・ピーターソン・トリオに約1年在籍。並行してコンテンポラリー・レコードでリーダー作を次々と録音し、映画・TV・レコーディングで真っ先に声がかかる「ファーストコール」ギタリストとしての地位を固めます。1955年にはジュリー・ロンドン『Julie Is Her Name』でギターを担当し、同作はロングセラーとなりました(収録シングル「Cry Me a River」は世界的な大ヒットを記録しています)。
そして1956年、ケッセルはレイ・ブラウン(ベース)、シェリー・マン(ドラムス)とともに、ダウンビート、プレイボーイ、メトロノームの各誌人気投票でそれぞれ1位を獲得。これをきっかけに結成されたのが、その名も「ザ・ポール・ウィナーズ(人気投票の勝者たち)」トリオです。1957年から1960年(さらに1975年の再結成盤)にかけてアルバムを制作しました。
レッキング・クルー、そして晩年
1960年代には、名うてのスタジオ・ミュージシャン集団「レッキング・クルー」の一員として、ビーチ・ボーイズ『Pet Sounds』(1966年)をはじめ、ザ・モンキーズ、サム・クック、ペギー・リー、ビリー・ホリデイ、ソニー&シェールなど、ジャンルを超えた膨大なセッションに参加。後年はチャーリー・バード、ハーブ・エリスと「グレート・ギターズ」を結成して活動し、1986年には教則ビデオ・シリーズ「Jazz Guitar Improvisation」もリリースしています。
1987〜88年には古巣コンテンポラリーに復帰し、『Spontaneous Combustion』(1987年)『Red Hot and Blue』(1988年)を発表。しかし1992年に脳卒中で倒れ、演奏活動は事実上終了します。1999年にオクラホマ・ジャズの殿堂入りを果たしたのち、2004年5月6日、脳腫瘍のためサンディエゴで80年の生涯を閉じました。
音楽的特徴
ケッセルのサウンドは、チャーリー・クリスチャンが築いたエレクトリック・ギターの流れの「自然な発展形」と評されます。ネックピックアップ+チューブアンプによる、温かくクリーンな音色。そこにスウィングからバップ(スリリングなモダンジャズの語法)までの語彙を落とし込んだのが、ケッセル流のジャズギターです。
特筆すべきはコード感覚。コードとその転回形(同じコードでも音の積み方を変えたもの)を自在に操り、コードを軸にメロディを組み立てる洗練された和声語法は、ソロギターや伴奏の手本として今も学ぶ価値があります。
そしてもうひとつの顔が「職人」。ジャズにとどまらずポップスの大ヒットを裏で支え続けたファーストコール・スタジオマンとしての確かな腕前は、彼の音楽の懐の深さそのものです。
おすすめアルバム
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『The Poll Winners』(1957年発売)
まず聴くべき1枚。1956年に各誌の人気投票を制した3人——ケッセル、レイ・ブラウン(ベース)、シェリー・マン(ドラムス)——が1957年に録音した、シリーズ第1作です。「On Green Dolphin Street」「Satin Doll」「Jordu」といったスタンダードやバップ曲を、緊密なインタープレイ(音の会話)で聴かせます。選曲・3者の相互作用・リード演奏が見事に融合したジャズギターの名盤との評価も高く、近年は高音質アナログ再発もあって入手しやすいのも嬉しいところです。
このトリオの掛け合いが気に入ったら、『The Poll Winners Ride Again!』(1958年録音)や『Exploring the Scene!』(1960年録音・発売)へ進むのがおすすめ。リーダー作では、1953年録音の第1作『Easy Like』、スウィング魂あふれる『To Swing or Not to Swing』、ビゼーの歌劇を題材にした異色作『Barney Kessel Plays “Carmen”』あたりも要チェック。いずれも1950年代コンテンポラリー期の充実ぶりを伝えてくれます。
使用機材
メインギターは、サンバースト仕上げのギブソンES-350。1946年頃の製造とされ、チャーリー・クリスチャン型のバー・ピックアップを備えるなど、本人仕様に大幅な改造が施されていたと伝えられています(改造内容の細部には諸説あります)。
その人気を反映して、シグネチャーモデルも複数登場しました。1957〜58年頃にはKayから「Barney Kessel」シリーズ(Pro/Artist/Jazz Special)が、1961〜74年頃にはギブソンから「Barney Kessel」モデル(Standard/Custom)が作られています。
アンプはフェンダー、ギブソン、ユニボックスのコンボタイプ各種を使用したとされますが、時期や特定モデルについては確定的な情報が乏しく、断定は避けておきます。
影響・評価
ケッセルは、ジャズギター進化の「要(かなめ)」と位置づけられる存在です。バップの語彙をギターに統合し、洗練されたコードワークで後進に大きな影響を与えました。1950年代を通じて主要各誌の人気投票ギター部門で1位を独占した実績は、ウェス・モンゴメリー登場以前のジャズギター界における彼の立ち位置を雄弁に物語ります。
同時に、レッキング・クルーの一員として20世紀アメリカ音楽の「裏方史」にも名を刻んだ多才ぶりも別格。1999年にはオクラホマ・ジャズの殿堂入りを果たし、シグネチャーギターは今もコレクターの人気を集めています。
まとめ
チャーリー・クリスチャン直系の温かいトーン、人気投票を独占した実力、そしてポップスの名盤まで支えた職人性。バーニー・ケッセルは「ジャズギターの王道」と「スタジオワークの最高峰」をひとりで体現したギタリストでした。入口はやはり『The Poll Winners』。西海岸オールスターの弾むようなインタープレイに、まずは身をゆだねてみてください。



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