パット・マルティーノとは?記憶を失っても再び弾いた、ジャズギター屈指のヴィルトゥオーゾ

パット・マルティーノ|ジャズギター ミュージシャン紹介

一息で歌い切るような、途切れない高速シングルノート(単音のフレーズ)。パット・マルティーノのソロを初めて聴いたとき、多くのギタリストが「人間業なのか」と耳を疑います。しかも彼の物語はテクニックだけでは終わりません。1980年、脳の血管の病気(動静脈奇形=AVM。報道によっては「脳動脈瘤」とも)による手術でギターの弾き方どころか自分の名前すら忘れ、そこから数年をかけて再びトップ・プレイヤーに返り咲いた——ジャズ史でも類を見ない復活劇の主人公なのです。

ウェス・モンゴメリーとは?(人物紹介記事)で紹介したウェスは、マルティーノ本人が影響を受けた先人として名前を挙げるギタリストのひとり。ウェスの温かい歌心とはまた違う、疾走する熱量の世界へご案内します。

基本プロフィール

項目 内容
本名 Patrick Carmen Azzara(パトリック・カーメン・アッザーラ)
生没年 1944年8月25日〜2021年11月1日(享年77)
出身 米国ペンシルベニア州フィラデルフィア
楽器 ギター
主な活動期 10代後半(1960年代初頭)〜2018年

経歴

オルガン・トリオで鍛えられた10代

1944年、フィラデルフィア生まれ。父カーメン・”ミッキー”・アッザーラは地元クラブで歌い、自身もギターをかじった人物で、パットは幼い頃からジャズに親しみます。フィラデルフィアの名教師デニス・サンドール(ジョン・コルトレーンやマッコイ・タイナーらも学んだとされる)に師事したのち、10代でニューヨークへ。オルガン・トリオを中心とするソウルジャズのシーンに飛び込みます。

ウィリス・”ゲイタテイル”・ジャクソンのバンドに参加し、『Boss Shoutin’』(1964年)には19歳で録音参加。ジャック・マクダフやドン・パターソンといったオルガン奏者との共演を重ね、この経験が後の粘り強いグルーヴの土台になりました。

22歳でリーダー・デビュー

1967年、ルディ・ヴァン・ゲルダーのスタジオで『El Hombre』(Prestige)を録音・発売し、22歳でリーダー・デビュー。翌1968年には『East!』を発表します。1972年9月にニューヨークで録音され、1973年に発売されたライヴ盤『Live!』(Muse)で評価を決定づけ、1970年代半ばには『Starbright』(1976年発売/Warner)などフュージョン方向の実験にも踏み出しました。

1980年、すべてを失う

そして1980年。脳の動静脈奇形(AVM)に関連する手術で左側頭葉の一部を切除し、重度の記憶喪失に。自分の名前も、両親の顔も、ギターの弾き方も失われました。

回復への道は決して美談一色ではありません。演奏を拒んだ時期、抗うつ薬や精神科への入院を含む長い苦闘があったとされます。父が昔のレコードをかけ続け、それを手掛かりに少しずつギターを再習得。演奏の再開は1984年頃とされます。

復帰、そして円熟

1987年、ニューヨークのクラブ「Fat Tuesday’s」でのライヴを収めた復帰作『The Return』(Muse)を発表。1990年代以降はBlue NoteやHighNoteで『All Sides Now』(1997年)、『Live at Yoshi’s』(2001年)、『Think Tank』(2003年)などを発表し、『Live at Yoshi’s』は2002年に、『Think Tank』は2003年にグラミー賞(Best Jazz Instrumental Album部門ほか)にノミネートされました。2004年にはDown Beat誌読者投票で「ギタリスト・オブ・ザ・イヤー」に選ばれています。

2018年、慢性の呼吸器疾患のため演奏活動を停止。2021年11月1日、77歳でこの世を去りました。

音楽的特徴

最大の個性は、圧倒的な高速シングルノート・ライン。極めて均一なピッキングとタイム感で、長大なフレーズを途切れなく弾き切ります。評論家のトム・ムーンは『Live!』の「Sunny」でのソロを「ジャズミュージシャンというより”スーパーヒーロー”のよう」と評したほどです。

その土台にあるのが、10代で叩き込まれたオルガン・トリオ仕込みの太く粘るグルーヴ。速いのに軽くならない説得力は、ソウルジャズの現場で培われたものです。また後年は、長3度・短3度といった「音程(インターバル)」を指板を捉える建築的な要素として重視する、独自の理論を語ることでも知られました。

そして忘れてはならないのが、記憶喪失からの復活という事実。2014年には医学誌『World Neurosurgery』に症例報告「Jazz, Guitar, and Neurosurgery: The Pat Martino Case Report」が掲載され、「重度の健忘から回復し、以前のヴィルトゥオーゾの地位を取り戻した、我々の知る限り初の臨床観察例」と記されています。音楽と脳科学の交差点として語られる、稀有な存在なのです。

おすすめアルバム

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『Live!』(1973年発売)

まず聴くならこの一枚。1972年9月にニューヨークで録音され、翌1973年にMuseから発売されたライヴ盤です。メンバーはロン・トーマス(エレクトリックピアノ)、タイロン・ブラウン(エレクトリックベース)、シャーマン・ファーガソン(ドラム)。収録は「Special Door」「The Great Stream」「Sunny」の3曲で、白眉はボビー・ヘブの「Sunny」。うねるグルーヴの上を、あの高速シングルノートが洪水のように押し寄せます。AllMusicは4.5つ星をつけ、ハードバップ/フュージョン/アヴァンギャルドの間を行き来し、どのジャンルにも完全には収まらない一枚として高く評価されています。パット・マルティーノというジャズギタリストの魅力が凝縮された、まさに名盤です。

このほか、デビュー作の瑞々しさを味わえる『El Hombre』(1967年)、復活の物語の到達点である『The Return』(1987年)、円熟期のライヴ『Live at Yoshi’s』(2001年)もおすすめ。ルーツのオルガンジャズが好きな方は『El Hombre』から入ると、彼の出発点がよく見えてきます。

使用機材

キャリアを通じて機材は変遷しており、「代表機はこれ一本」と断定はできませんが、大きな流れはギブソン系からベネデットへ、と押さえておくとよいでしょう。

フュージョン期の『Starbright』(1976年)では、市販前にGibsonから提供されたL-5Sを使ったとされます。2000年代にはGibsonのシグネチャーモデル「Pat Martino Custom」を『Live at Yoshi’s』(2001年)や『Think Tank』(2003年)の録音で使用しました。

晩年の代表機はBenedettoのPat Martino Signature Model。軽量なチェンバード・マホガニーボディにカーヴド・メイプルトップ、エボニー指板、Benedetto A-6ピックアップ2基という仕様で、ボブ・ベネデットとの共同開発によって生まれた一本です。アンプは後年、Acoustic Imageのシステムを愛用していたとされます。

影響・評価

マルティーノは、ジャズギター史における屈指のテクニシャン/ヴィルトゥオーゾとして評価が確立しており、あの流麗な高速シングルノートは後進のギタリストに多大な影響を与えました。本人が影響を受けた先人として挙げるのは、レス・ポール、ウェス・モンゴメリー、ジョニー・スミス、ハンク・ガーランド、そしてジョー・パス。

受賞歴も、グラミー賞ノミネート(2002年・2003年)、Down Beat誌読者投票「ギタリスト・オブ・ザ・イヤー」(2004年)、ペンシルベニア州のJazz Legacy Award(2016年)と晩年まで続きました。前述の医学誌への症例報告も含め、音楽の枠を超えて語り継がれるギタリストです。

まとめ

若くしてオルガンジャズの現場で腕を磨き、22歳でデビュー。全盛期に一度すべてを失い、それでも再びギターを手に取り、頂点へ戻ってきた——パット・マルティーノの音楽には、その事実の重みがそのまま刻まれています。まずは『Live!』の「Sunny」を。押し寄せる単音の奔流に身を任せれば、「スーパーヒーロー」と評された意味がきっと分かるはずです。

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