ジャズの歴史に名を残したギタリストの多くは、華麗なソロでその名を刻んできました。ところがフレディ・グリーンは正反対で、「ほとんどソロを弾かない」ことで歴史に残った、きわめて珍しい存在です。カウント・ベイシー楽団に約50年間在籍し、アンプを使わないアコースティックギターで4分音符をひたすら刻み続けた「Mr. Rhythm」。チャーリー・クリスチャンがエレキギターによるソロの道を切り開いたのと同じ時代に、「支える側」の美学を極めた人物です。この記事では、経歴と奏法の特徴、代表アルバムを紹介します。
基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | フレデリック・ウィリアム・グリーン(Frederick William Green) |
| 生没年 | 1911年3月31日~1987年3月1日(享年75) |
| 出身 | アメリカ・サウスカロライナ州チャールストン |
| 楽器 | ギター(アコースティックのアーチトップ) |
| 主な活動期 | 1930年代~1987年(うち約50年をカウント・ベイシー楽団で) |
経歴
バンジョーからギターへ——チャールストン時代(1911年~)
1911年、サウスカロライナ州チャールストン生まれ。12歳頃にバンジョーを始め、10代前半でギターに持ち替えたと伝えられます。家族ぐるみの友人だったサム・ウォーカーに読譜を学び、地元の楽団で初舞台を経験。同じ楽団には、のちのエリントン楽団のトランペッター、キャット・アンダーソンもいました。1920年代半ば、両親を相次いで亡くしたグリーンは10代でニューヨークへ移り、叔母のもとで学業を続けます。
ジョン・ハモンドに見出され、ベイシー楽団へ(1937年)
1930年代前半は、ハーレムの「Yeah Man」やグリニッジ・ヴィレッジの「Black Cat」といったクラブ、レントパーティー(家賃捻出のための私的パーティー)で腕を磨きました。転機は1937年。Black Catでの演奏を名プロデューサーのジョン・ハモンドが聴きつけ、カウント・ベイシーに紹介します。同年3月、前任ギタリストのクロード・ウィリアムスに代わって入団し、3月26日にはDeccaへの初録音に参加。ここから約50年に及ぶベイシー楽団在籍が始まりました。
1938年1月16日には、ベニー・グッドマンの歴史的なカーネギー・ホール・コンサートに参加。ジャム・セッションでは、本人としては極めて珍しいソロを披露しています(ファッツ・ウォーラー作の曲で、複数の資料では「Honeysuckle Rose」とされます)。1930年代後半から40年代にかけては、ベイシー(ピアノ)、ウォルター・ペイジ(ベース)、ジョー・ジョーンズ(ドラム)と共に「オール・アメリカン・リズム・セクション」と称される史上屈指のリズム隊を形成。1941年には自作曲「Down for Double」も書いています。
一度の「解雇」と、生涯続いた在籍(1950年~1987年)
1950年、経営難からベイシーはビッグバンドを解散し、小編成グループに縮小します。このときグリーンは当初メンバーに含まれていませんでした。ところがある夜、招かれないままステージに座り込んで演奏に加わり、そのまま復帰してしまいます。1952年のビッグバンド再編後も、変わらず在籍を続けました。
1955年には代表的な自作曲「Corner Pocket」を作曲(『April in Paris』に収録。のちに歌詞が付き「Until I Met You」としても知られます)。同年12月には、単独リーダー名義では生涯唯一となるアルバム『Mr. Rhythm』を録音しました。1957~58年には『April in Paris』『The Atomic Mr. Basie』などベイシー楽団「第二黄金期」の名盤群を支え、1975年にはハーブ・エリスとの双頭名義作『Rhythm Willie』も残しています。
1984年にベイシーが世を去った後も、サド・ジョーンズ、フランク・フォスターが率いる楽団に残留。1987年3月1日、前夜にラスベガスでトニー・ベネットとの公演を終えた直後、心臓発作により75歳で亡くなりました。約50年の在籍は「ジャズ史上最も長く続いた仕事」とも評されています。
音楽的特徴・スタイル
グリーンの奏法は、今日「フレディ・グリーン・スタイル」の名で世界中に受け継がれています。ポイントは次のとおりです。
- アンプを使わない「4つ切り」…エレキ化が進んだ時代にあってもアンプを使わず、アコースティックのアーチトップギター(Stromberg製の使用が有名)で、1小節に4分音符を4つ刻む「four-to-the-bar」のリズムギターを貫きました。
- 「聞こえてはいけない」という美学…本人いわく「ギターは単体で聞こえてはいけない。ドラムの一部となり、スネアやハイハットがコードを鳴らしているように響くべき」。徹底した黒子の美学です。
- 拍ごとのボイスリーディング…小節単位ではなく拍ごとに細かくコードを動かします。実際に押さえるのは1~3音程度で、残りの弦は左手でミュートし、打楽器的なアタックを生み出しました。
- ソロを弾かないことで伝説になった…1938年カーネギー・ホールでのソロが「事件」として語り継がれるほど、ソロを取らないことが彼の代名詞になりました。
- リズム隊の規範を作った…「オール・アメリカン・リズム・セクション」での演奏は、スウィングにおけるタイム感とアンサンブルのお手本とされています。
代表アルバム
グリーンの仕事を聴くなら、まずはこの4枚。発売年順に紹介します。
『Mr. Rhythm』(1955年録音・1956年発売)
RCA Victorに残した、単独リーダー名義では生涯唯一のアルバム。ベイシー楽団の同僚を中心とした小編成で、全12曲中8曲が自作曲という内容ですが、リーダーであるグリーン自身はここでも一切ソロを取りません。詳しくは『Mr. Rhythm』徹底解説(アルバム紹介記事)をどうぞ。
Count Basie『April in Paris』(1957年発売)
1955~56年録音、Verve発売。グリーンの自作曲「Corner Pocket」を収録した、ベイシー楽団「第二黄金期」を代表する1枚です。ビッグバンドの土台で鳴り続ける4つ切りが堪能できます。
Count Basie『The Atomic Mr. Basie』(1958年発売)
1957年10月録音、Roulette発売。ニール・ヘフティ編曲によるベイシー第二黄金期の金字塔です。緻密なアンサンブルの中でリズムギターが果たす役割がよく分かります。
Herb Ellis & Freddie Green『Rhythm Willie』(1975年発売)
Concord Jazzからの、ハーブ・エリスとの双頭ギター作。レイ・ブラウン(ベース)、ジェイク・ハナ(ドラム)らが参加しています。ソロの名手エリスとリズムの巨匠グリーンという、役割のはっきり分かれた2本のギターの対話が楽しめる晩年の好盤です。
影響・評価
批評家のレナード・フェザーは、グリーンを「業界最高のリズムマンであり、ベイシー・バンドの鼓動」と評しました。ファンやミュージシャンからは敬意を込めて「Mr. Rhythm」と呼ばれ、「Pep」という愛称も伝えられています。
ソロイストとして名を上げるのが当たり前のジャズ界で、アンサンブルを支えるタイムキーパーに徹して歴史に名を残したギタリストは、ほかにほとんど例がありません。バーニー・ケッセルやジョー・パスのようなソロの名手とは対照的な道ですが、その4つ切りのコンピングは「フレディ・グリーン・スタイル」として体系化され、今日でも世界中のビッグバンド・ギタリストの必修科目となっています。「リズムギター」という役割そのものをジャズに定着させた第一人者と言ってよいでしょう。
まとめ
フレディ・グリーンは、約50年間カウント・ベイシー楽団に在籍し、アンプなしの4つ切りでスウィングのタイム感を支え続けたリズムギターの巨匠です。派手なソロは残しませんでしたが、その「支える技術」はジャズギターのもう一つの到達点と言えます。まずは『April in Paris』や『The Atomic Mr. Basie』で、バンド全体を下から押し出すように鳴る4分音符に注目してみてください。



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