「フュージョンのゴッドファーザー(Godfather of Fusion)」。ラリー・コリエル(Larry Coryell)は、追悼報道でもこの称号とともに紹介されたジャズギタリストです。マイルス・デイヴィスの電化に先立つ1966年からジャズとロックの融合に取り組み、「フュージョン」という言葉が生まれる前からそれを実践していた先駆者でした。轟音のエレクトリックから繊細なアコースティックまで、極端に広い振り幅を持つプレイヤーでもあります。この記事では、その経歴と音楽的特徴、代表アルバムを紹介します。
基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | ローレンツ・アルバート・ヴァン・デリンダー3世(Lorenz Albert Van DeLinder III) |
| 生没年 | 1943年4月2日~2017年2月19日(享年73) |
| 出身 | アメリカ・テキサス州ガルベストン(ワシントン州リッチランド育ち) |
| 楽器 | ギター(エレクトリック/アコースティック) |
| 主な活動期 | 1960年代半ば~2017年 |
経歴
ピアノからギターへ、そしてニューヨークへ
1943年、テキサス州ガルベストンに生まれ、ワシントン州リッチランドで育ちます。4歳でピアノを始め、10代でギターに転向。影響を受けたのはレス・ポール、ジョニー・スミス、バーニー・ケッセル、そして特にウェス・モンゴメリーでした。1965年9月にニューヨークへ移住し、マンネス音楽学校で学びながら、チコ・ハミルトンのクインテットにガボール・ザボの後任として参加。ここからプロとしてのキャリアが本格化します。
ジャズロック最初期の実験
1966年、史上最初期のジャズロックバンドとされるフリー・スピリッツ(The Free Spirits)を結成し、唯一作『Out of Sight and Sound』を録音します(1967年にABCから発売)。1967~68年にはゲイリー・バートン・カルテットに参加し、『Duster』(1967年)などでジャズとロックの融合をいち早く提示しました。同じ時期にジミ・ヘンドリックスやクリームのライブに衝撃を受けたことも、後のスタイルに大きく影響しています。1969年にはVanguardからソロデビュー作『Lady Coryell』(1968年録音)を発表し、続けて『Coryell』をリリースしました。
『Spaces』とイレヴンス・ハウス
1970年、ジョン・マクラフリンらと録音した『Spaces』を発表。のちに「フュージョン前夜の金字塔」と呼ばれる重要作です。1971年には『Barefoot Boy』を、ジミ・ヘンドリックスが作ったエレクトリック・レディ・スタジオで録音しました(エンジニアはエディ・クレイマー)。1973年にはドラマーのアルフォンス・ムザーンとイレヴンス・ハウス(The Eleventh House)を結成し、翌1974年の『Introducing the Eleventh House』でフュージョン全盛期の一角を担います。
アコースティック転向と晩年
1979年にはアコースティックへ大きく舵を切り、ジョン・マクラフリン、パコ・デ・ルシアとの「ギター・トリオ」でヨーロッパをツアーします(1979年2月のロイヤル・アルバート・ホール公演など)。フィリップ・カテリーンとのデュオでも活動しました。私生活では1981年にアルコールとヘロインの依存症を克服し、以後は日蓮系仏教の信仰を持ちます。1982~83年にはストラヴィンスキーの三大バレエをソロギターで録音するという離れ業も成し遂げました。1985年にはエミリー・レムラーとのデュオ作『Together』を発表。以後もメインストリームジャズからフュージョンまで、多作なキャリアを続けます。2017年2月19日、ニューヨークのジャズクラブ「イリジウム」での週末2公演を務めた直後、滞在先で就寝中に死去。73歳、最後まで現役のままの幕引きでした。
音楽的特徴・スタイル
コリエルのスタイルを一言でいえば「雑食」。ジャンルの壁を最初から意識していないような音楽性が持ち味です。
- ロック×ビバップの最初期スタイル…ヘンドリックスやクリーム由来の歪みと熱量に、ビバップのジャズ語彙を重ねる奏法。「フュージョン」という言葉が生まれる前からの実践者でした。
- エレクトリックとアコースティックの両刀…轟音のサステインからチェンバー(室内楽)的なフィンガースタイルまで、振り幅は極端に広い。
- ウェス直系のメロディ感覚…ウェス・モンゴメリー譲りのメロディックなフレージングを土台に、カントリーやブルースの語法も混ざります。
- クラシックやインド音楽への貪欲さ…ストラヴィンスキー、バルトーク、ドビュッシーからインド音楽まで取り込む音楽性。三大バレエのソロギター録音はその代表例です。
- アグレッシブなピッキング…高速で角の立ったラインが真骨頂。一方で『Spaces』ではクリーントーンでマクラフリンと絡む対位法的なツインギターも聴かせます。
代表アルバム
代表作を年代順に紹介します。まず1枚選ぶなら、フュージョン史の転換点となった『Spaces』がおすすめです。
『Lady Coryell』(1969年発売)
Vanguardからのソロデビュー作(1968年録音)。ジャズロック黎明期の空気をそのまま閉じ込めた出発点で、コリエルの原点を知るならここからです。
『Spaces』(1970年発売)
ジョン・マクラフリン、チック・コリア、ミロスラフ・ヴィトウス、ビリー・コブハムという、のちのフュージョンを担う面々が集結した歴史的名盤。詳しくは『Spaces』徹底解説(アルバム紹介記事)で掘り下げています。
『Barefoot Boy』(1971年発売)
Flying Dutchmanからの一枚。エレクトリック・レディ・スタジオ録音で、エンジニアはエディ・クレイマー。コリエルのロック色が最も強く出た作品です。
『Introducing the Eleventh House』(1974年発売)
自身のフュージョンバンド、イレヴンス・ハウスの初作。フュージョン全盛期のエネルギーを体感できます。
『Together』(1985年発売)
エミリー・レムラーとのギターデュオ作(Concord)。エレクトリック期とはうって変わった、メインストリームジャズの落ち着いた対話が味わえます。
影響・評価
コリエルは「フュージョンのゴッドファーザー」と広く呼ばれ、NPRやMusicRadarの追悼記事でもこの称号で報じられました。1966年のフリー・スピリッツは、マイルス・デイヴィスの電化より前にジャズとロックを融合した最初期の試みです。そして『Spaces』の参加者たちは、その後マハヴィシュヌ・オーケストラ、リターン・トゥ・フォーエヴァー、ウェザー・リポート、イレヴンス・ハウスを率い、フュージョン全盛期を築いていきました。
商業的な知名度ではマクラフリンやアル・ディ・メオラに譲るものの、ジャンルの扉を最初に開けたパイオニアとしての批評的評価は揺るぎません。
まとめ
ラリー・コリエルは、ジャズとロックの間にまだ壁があった時代に、その壁を最初に取り払ったギタリストでした。エレクトリックとアコースティック、ロックとビバップ、クラシックとブルース。あらゆる境界を軽々とまたぐ音楽性は、今聴いても新鮮です。入門には、フュージョン前夜の空気をそのまま封じ込めた『Spaces』をぜひ。そこから『Introducing the Eleventh House』の熱量、『Together』の静かな対話へと聴き進めれば、この人の振り幅の広さがよく分かるはずです。



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