「上品なのに、どこまでもブルージー」——ケニー・バレル(Kenny Burrell)の魅力は、この一言に尽きます。オクターブ奏法のウェス・モンゴメリー(ウェス・モンゴメリーとは?(人物紹介記事)で解説しています)がジャズギターの「革新」の人なら、バレルは「粋」の人。あのデューク・エリントンに「お気に入りのギタリスト」と呼ばれた名手です。1931年生まれ、2026年7月時点で94歳の存命レジェンド。深夜の一杯とともに聴きたくなる、その経歴・名盤・機材を解説します。
基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | ケネス・アール・バレル(Kenneth Earl Burrell) |
| 生年 | 1931年7月31日(2026年7月時点で存命) |
| 出身 | アメリカ・ミシガン州デトロイト |
| 楽器 | エレクトリック・ギター(アーチトップのフルアコ中心) |
| 主な活動期 | 1951年のレコーディング・デビュー〜2010年代後半。UCLAでの教育活動でも著名 |
デトロイトの音楽一家に6人兄弟の末っ子として生まれ、12歳の頃(1943年頃)にチャーリー・クリスチャンの録音に衝撃を受けてギターを始めました。本人が挙げる影響源は、ジャズ側のクリスチャン、オスカー・ムーア、ジャンゴ・ラインハルトに、ブルース側のT・ボーン・ウォーカー、マディ・ウォーターズ、B.B.キング。この「ジャズとブルースの二本柱」こそバレル節の原点です。
経歴
デトロイトの逸材、学生でガレスピーと録音(1931〜1955年)
1951年、ウェイン州立大学在学中に、ビバップの巨人ディジー・ガレスピーのセクステットの一員としてレコーディング・デビュー。学生にしてこの抜擢ですから、地元デトロイトでの評判のほどがうかがえます。1955年に大学を卒業すると、ピアノの巨匠オスカー・ピーターソンとのツアーに参加しました。
ニューヨーク進出、引っ張りだこの黄金期(1956〜1965年)
1956年にニューヨークへ進出すると、同年、ブルーノート初のリーダー作『Introducing Kenny Burrell』を録音。1957〜1959年頃にはベニー・グッドマン楽団で、かつて憧れたチャーリー・クリスチャンが座ったギターの椅子を受け継ぎました。この頃のバレルは、ポップスの録音まで含め「ジャズ史上もっとも多く録音されたミュージシャンの一人」と評されるほど多作でした。オルガンのジミー・スミスとの共演も名高く、1965年のヴァーヴ盤『Organ Grinder Swing』はビルボードのトップ20入り。リーダーとしても、1963年録音・発表の『Midnight Blue』、1965年発表の『Guitar Forms』と代表作を連発します。
エリントンお気に入りのギタリスト、そして教育者へ(1978年〜)
特筆すべきはデューク・エリントンとの縁です。直接の共演盤こそ残されていませんが、エリントンはバレルを「自分のお気に入りのギタリスト」と呼びました。バレル自身も敬愛を込めて、多数のエリントン・トリビュートを録音しています。1978年からはUCLAでエリントンの音楽と業績を扱う講座「Ellingtonia」の教鞭を執り、1996年には同校のジャズ研究部門ディレクター兼教授に就任。門下からはグレッチェン・パーラトやカマシ・ワシントンが巣立ちました。
音楽的特徴
ブルースに根ざした洗練
最大の魅力は、T・ボーン・ウォーカーやB.B.キング譲りのエレクトリック・ブルースの感覚と、チャーリー・クリスチャン由来の直線的なバップ・ライン(ビバップ流の疾走するアドリブ旋律)を、高い次元で融合させたこと。「上品なのに泥臭い」——この絶妙のバランスがバレルの味です。
温かいトーンとタメの効いたフレージング
トーンは温かくクリーンで、芯のある甘い音。ときにわずかなドライブでブルージーな粘りとザラつきを効かせます。本人も「太く温かい音が好きなので、トレブルを下げ、ベースは中間、ミドルを上げる」と語っています。フレージングは、派手に弾き倒すのではなくタメ(間)を効かせた歌わせ方が身上。シンプルで良く歌う短いフレーズで聴かせつつ、無伴奏のコード・ソロから速い単音ライン、ブルース・ヴァンプまで自在に行き来します。
リーダーを立てる名サイドマン
抑制の効いたメロディックな伴奏で、主役を引き立てるのも持ち味です。ボーカル物からオルガン・ジャズ、ポップスまで対応できる万能性が、あの膨大なセッション需要を生みました。
おすすめアルバム
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『Midnight Blue』(1963年)
最初の1枚は文句なしにこれ。1963年録音・発表、バレルの最高傑作と名高いブルーノートの大名盤です。スタンリー・タレンタインの豪快なテナーサックスとレイ・バレットのコンガを迎え、ファンキーな「Chitlins con Carne」、夜気の漂うタイトル曲、無伴奏ソロ「Soul Lament」の染み入る情感まで捨て曲なし。リード・マイルスによるジャケットデザインは”ジャケ買い”の定番。1960年代ブルーノートの粋をまるごと味わえる1枚です。
さらに掘るなら、ギル・エヴァンス(マイルス・デイヴィスの盟友として知られる編曲家)と組んだ『Guitar Forms』(1965年発表)を。オーケストラ曲から無伴奏ソロまでバレルの懐の深さが味わえる意欲作で、グラミー複数部門にノミネートされました。アンディ・ウォーホルがジャケットを手がけた初期作『Blue Lights』(1958年)、ジョン・コルトレーンとの双頭盤『Kenny Burrell & John Coltrane』(1958年録音/1963年発表)もおすすめです。
使用機材
トレードマークは、ギブソンの最高級フルアコSuper 400CESです。1960年代後半以降のメイン・ギターで、ハムバッカー2基、フロレンティン・カッタウェイ(先の尖ったカッタウェイ形状)の仕様を好んだとされます。ハムバッカーのノイズの少なさは、ジミー・スミスら大音量の共演でも有利だったのだとか。なお「初期にはES-175を使っていた」という説もありますが、資料によって記述が揺れており、断定は避けておきます。
アンプはフェンダーTwinを早くから愛用した一人とされ、芯のある「バイト」の効いた音を好んだと伝えられます。ほかにローランドJC-120や自身のシグネチャーであるHeritage製アンプも使用し、1950年代の録音の多くはフェンダーDeluxeによるものとされます。Heritage社からはSuper 400系スペックのシグネチャー・ギターも出ています。
影響・評価
後進への影響を象徴するのが、ジョージ・ベンソンです。17歳の頃、メンターを通じてバレルやウェス・モンゴメリー、グラント・グリーン(グラント・グリーンとは?(人物紹介記事)で解説しています)らの演奏を研究したというベンソンは、こう語ったとされます。「これ以上ファインなギタリストはいない。同じくらい巧い人はいるかもしれないが、ケニー・バレルよりファインには弾けない」。”ファイン”=上質で上品。これほど的確なバレル評はないでしょう。
また『Midnight Blue』に象徴されるとおり、洗練されたブルース感覚と名ジャケットが一体となった「1960年代ブルーノート美学」を体現する存在でもあります。教育面ではUCLAでジャズ研究プログラムを率い、2004年にダウンビート誌「Jazz Educator of the Year」、2005年にはジャズ界最高の栄誉のひとつNEAジャズ・マスターに選出。2010年にはGrammy Salute to Jazzでも表彰されました。演奏と教育の両輪で、ジャズギターの歴史に名を刻んでいます。
まとめ
ブルースの泥臭さと都会の洗練を、これほどの高みで両立させたギタリストは他にいません。エリントンに愛され、ベンソンに敬われ、UCLAで後進を育てた——2026年7月時点で94歳の存命レジェンド、ケニー・バレル。まずは夜更けに名盤『Midnight Blue』を1枚どうぞ。「上品なのにブルージー」の意味が、最初の数音でわかるはずです。



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