ロックのように歪んだギター・トーンで、ビバップ(1940年代に生まれたモダンジャズの即興スタイル)のフレーズを弾き倒す――そんな「マイク・スターン印」のサウンドが最初に確立されたアルバムが、1986年発表の『Upside Downside(アップサイド・ダウンサイド)』です。全6曲がスターン自身のオリジナルで、火の出るようなファンク・フュージョンから歌心あふれるバラードまで、彼の魅力が約35分に詰まった1枚。しかも、伝説のベーシスト、ジャコ・パストリアスが参加した「Mood Swings」という、ジャズ史的にも見逃せない録音を含んでいます。
マイルス・デイヴィスのバンドで一躍注目を集めたスターンが、薬物とアルコールの依存から立ち直った直後に吹き込んだ本作は、彼のキャリアの「再出発点」でもあります。スターンの経歴は マイク・スターンとは?(人物紹介記事) で詳しくまとめていますので、あわせてどうぞ。この記事では、制作背景と全曲の聴きどころを解説していきます。
アルバム基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 発売 | 1986年 |
| レーベル | Atlantic(アトランティック) |
| 録音日 | 1986年3月〜4月 |
| 録音場所 | RPM Sound Studios(ニューヨーク) |
| プロデューサー | ハイラム・ブロック(Hiram Bullock) |
編成はギター、キーボード、サックス、ベース、ドラムス、パーカッションを基本としつつ、曲によってベーシストとドラマーが替わる形で録音されています。
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どんなアルバム?
『Upside Downside』はしばしば「デビュー作」と紹介されますが、正確にはスターンの2作目のスタジオ・アルバムです。1983年に日本のトリオ・レーベルから『Neesh』を発表しており、本作はそれに続く作品。ただし米Atlanticレコードからの第1作であり、世界に向けた「実質的なメジャーデビュー作」と位置づけられることが多いアルバムです。この後『Time in Place』(1988年)、『Jigsaw』(1989年)と続いていくAtlantic時代の出発点にあたります。
録音当時のスターンは、人生の大きな転機を迎えていました。1981〜83年と1985年にマイルス・デイヴィスのバンドに在籍し、『The Man with the Horn』収録の「Fat Time」(スターンのあだ名にちなんで名付けられた曲)でフィーチャーされるなど脚光を浴びた一方、その裏では深刻な薬物・アルコール依存に苦しんでいたのです。本人いわく「朝から晩までひどい状態だった」ほどでしたが、1980年代半ばに酒と薬物を断ち、ソバー(断酒・断薬)を達成。回復後は「創作エネルギーも人生全般も格段に良くなった」と語っており、本作はその後に録音された再起の記録でもあります。
そんな本作を象徴するのが、ジャコ・パストリアスが参加した「Mood Swings」にまつわるエピソードです。スターンとジャコは「兄弟のような」親友で、マイルス・バンド脱退後のスターンはジャコのWord of Mouthバンドに参加し、一時期はジャコがスターンのソーホーのロフトに居候していたほどの間柄でした。しかし当時のジャコ自身も深刻な状態にあり、スターンは「この曲で弾いてほしい。ただし、ちゃんと現れて、シラフで、最高のプレイをすることが条件だ」と伝えたといいます(本人インタビューでの証言)。ジャコはその言葉に応え、全力のプレイを残しました。「Mood Swings」はジャコ最後期のスタジオ録音のひとつとされており(ジャコは1987年9月に死去)、その意味でも極めて貴重な記録です。
プロデュースを手がけたのは、ギタリスト仲間のハイラム・ブロック。前作『Neesh』に続いての起用です。オール・アナログで録音されたサウンドは、当時から現在に至るまで音質の評価が高いことでも知られます。また、録音後の1986年夏にはデヴィッド・サンボーンのツアーに参加するなど、本作の人脈はこの時期のスターンの活動と直結。とりわけボブ・バーグとは以降数年間バンドを共同で率いる関係になり、「スターン=バーグ」コンビの起点としても重要な1枚です。
参加メンバー
参加しているのは、1980年代のニューヨーク・フュージョン・シーンを彩る精鋭たち。ベースとドラムが曲によって入れ替わるのも本作の面白いところです。
- マイク・スターン(ギター) … 本作の主役。全6曲の作曲と全曲のアレンジを担当しています。
- ミッチェル・フォアマン(アコースティックピアノ、シンセサイザー) … 「Mood Swings」を除く5曲に参加し、バンドサウンドに彩りを加えるキーボード奏者。
- ボブ・バーグ(テナー・サックス) … 5曲に参加。録音当時はマイルス・デイヴィスのバンドに在籍しており、本作の後にはスターンと数年間バンドを共同で率いることになる盟友です。
- デイヴィッド・サンボーン(アルト・サックス) … 「Goodbye Again」1曲のみに参加した人気アルト奏者。
- マーク・イーガン(ベース) … 4曲でベースを担当し、リズムの土台を支えます。
- ジェフ・アンドリュース(ベース) … 「Little Shoes」でベースを弾き、「Scuffle」ではスターンと共同でアレンジも手がけています。
- ジャコ・パストリアス(ベース) … 「Mood Swings」のみに参加。スターンの親友であり、ジャズ史に名を残す伝説的ベーシスト。
- デイヴ・ウェックル(ドラムス) … 「Mood Swings」を除く5曲を叩く、当時ブレイク前夜の逸材。
- スティーヴ・ジョーダン(ドラムス) … 「Mood Swings」1曲のみでドラムを担当。
- ドクター・ギブス(パーカッション) … 5曲に参加し、リズムに厚みを加えるパーカッショニスト。
全曲解説
オリジナル盤は全6曲、すべてマイク・スターンの作曲です。
1. Upside Downside(作曲:Mike Stern)
アルバムの幕開けを飾るタイトル曲は、アップテンポのファンク・フュージョン。ジャズとしてはかなりヘヴィと言いたくなる高速で強烈なギターワークが全開で、マイルス・バンド仕込みの”ロック・ヒーロー的”なサウンドをいきなり見せつけてくれます。スターンというギタリストの名刺代わりにふさわしいオープニングです。
2. Little Shoes(作曲:Mike Stern)
オーバードライブ(ギターの音を歪ませるエフェクト)をかけたスターンのソロ・スタイルが際立つ1曲。この曲のみベースはジェフ・アンドリュースが担当しており、リズム隊の色合いの違いも聴き比べのポイントです。
3. Goodbye Again(作曲:Mike Stern)
美しいイントロで始まるバラード。最大のハイライトは、この曲だけに参加しているデヴィッド・サンボーンのアルト・サックスで、そのソロは「鳥肌モノ(spine-tingling)」と評されるほど。アルバム前半の流れを一気に深いところへ引き込みます。
4. Mood Swings(作曲:Mike Stern)
ジャコ・パストリアス(ベース)、スティーヴ・ジョーダン(ドラムス)、ボブ・バーグ(テナー・サックス)という、この曲だけの特別編成で演奏されるブルース色のあるアップテンポ・ナンバー。「シラフで来て、最高のプレイを」というスターンの言葉に応えたジャコの、最後期の貴重な演奏が聴ける本作最大の話題曲です。
5. After You(作曲:Mike Stern)
一音一音に意味を込めた美しいフレージングが味わえるバラードで、スターンのリリカル(叙情的)な側面がもっともよく出た曲。チャーリー・パーカー譲りのビバップ語彙とロイ・ブキャナン的なブルースロックの泣きを併せ持つ、と形容される彼の資質が存分に表れています。
6. Scuffle(作曲:Mike Stern)
ラストを締めくくるリズミックな快演。アルバム中でも屈指のソロが聴けるとの声もあるほどで、最後まで気の抜けない演奏が続きます。アレンジはベーシストのジェフ・アンドリュースとの共同によるものです。
聴きどころ・なぜ名盤なのか
本作最大の聴きどころは、ビバップの語彙とロックのディストーション・サウンドを融合させた「ポスト・マイルス世代」のギタリスト像が、ここではっきりと形になっていることです。速い曲では火の出るようなソロ、バラードでは一音を大切にする歌心――以後のスターン作品に共通する基本フォーマットは、このアルバムで確立されたと言ってよいでしょう。
そして「Mood Swings」の存在。依存から立ち直ったばかりのスターンが、苦しんでいた親友ジャコに「シラフで来てほしい」と条件を出し、ジャコがそれに全力で応えた――この背景を知って聴くと、演奏の輝きがいっそう胸に迫ります。ジャコ最後期のスタジオ録音のひとつという資料的価値も含め、この1曲のためだけでも本作を手に取る意味があります。
評価の面でも、AllMusicで5点満点中4つ星を獲得し、現在でも80年代フュージョンの代表作の一枚として挙げられることの多い定番作です。ブレイク前夜のデイヴ・ウェックルらが顔を揃えた、80年代ニューヨーク・フュージョン人脈のドキュメントとしての面白さも、本作が長く聴き継がれている理由でしょう。
こんな人におすすめ
- 歪んだ音でジャズを弾きたいギタリスト … ロックのトーンでビバップのラインを弾くスターンのスタイルは、ロック出身者の最高のお手本です。
- ジャコ・パストリアスのファン … 最後期のスタジオ録音のひとつ「Mood Swings」は必聴。背景の逸話を知ればさらに味わい深くなります。
- 80年代フュージョンが好きな人 … サンボーン、ウェックル、バーグら当時のニューヨークの精鋭が揃った、時代のサウンドを凝縮した1枚です。
- マイク・スターン入門者 … 全曲オリジナルで約35分とコンパクト。彼の魅力の原点が詰まった、最初の1枚に最適な作品です。
まとめ
『Upside Downside』は、依存を乗り越えたマイク・スターンが自らのスタイルを世界に示した、実質的なメジャーデビュー作です。ファンク・フュージョンの疾走感とバラードの歌心、そしてジャコ・パストリアス最後期の名演「Mood Swings」。80年代フュージョンの熱気と友情の記録が、約35分に凝縮されています。
派手なギターの奥にある「一音一音を大切にする歌心」こそ、スターンの本質です。その原点をとらえた本作は、フュージョン・ファンにもジャズギター学習者にも長く付き合える1枚になるはず。まずは「Mood Swings」から、ぜひ聴いてみてください。
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