1971年11月、ジャズとロックの境界線を書き換える一枚が現れました。マハヴィシュヌ・オーケストラのデビュー作『The Inner Mounting Flame』(邦題『内に秘めた炎』)です。ロックの音量とエネルギー、ジャズの即興、インド音楽由来の変拍子(1小節の拍数が3拍子や4拍子に収まらない拍子)が高い次元で融合し、緻密に組み上げられた楽曲の上を超絶技巧の5人が疾走する——後に「フュージョン」と呼ばれる音楽の原点を事実上定義した、今なお別格の輝きを放つアルバムです。
バンドを率いるのは、マイルス・デイヴィスの『Bitches Brew』などで頭角を現したギタリスト、ジョン・マクラフリン。彼の経歴とプレイスタイルは マハヴィシュヌ・オーケストラ(ジョン・マクラフリン)とは?(人物紹介記事) で詳しく紹介していますので、あわせてどうぞ。本記事では、その第一歩となった本作を制作背景から全曲解説まで掘り下げます。
アルバム基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 発売 | 1971年11月3日(米国) |
| レーベル | Columbia Records |
| 録音日 | 1971年8月14日 |
| 録音場所 | CBS Studios(ニューヨーク) |
| プロデューサー | John McLaughlin(ジョン・マクラフリン) |
編成はギター、ヴァイオリン、キーボード、ベース、ドラムスによるクインテット(5人編成)で、サックス等の管楽器が一切いない、当時のジャズとしては異例のバンドです。
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どんなアルバム?
マクラフリンは渡米後、マイルス・デイヴィスの『In a Silent Way』『Bitches Brew』『Jack Johnson』への参加や、トニー・ウィリアムス・ライフタイムでの活動を経て、1971年に自身のバンド結成へ踏み切りました。当時の彼はインドの導師シュリ・チンモイに師事しており、「マハヴィシュヌ」はチンモイから授かった宗教名(「マハ」=偉大な+ヒンドゥーの神ヴィシュヌ)。バンド名もここに由来します。
ドラムスのビリー・コブハムは、同年のソロ作『My Goal’s Beyond』に参加していた縁で加入。ヴァイオリンは第一候補のジャン=リュック・ポンティがビザ(入国管理)の問題で参加できず、同作にも加わった元The Flockのジェリー・グッドマンが招かれました。キーボードのヤン・ハマーはミロスラフ・ヴィトウスの推薦で加入し、ベースのリック・レアードはロンドン時代からの旧知。英・米・チェコ・アイルランド(コブハムはパナマ系米国人)の多国籍バンドがこうして誕生しました。
驚くべきはそのスピードです。1971年7月にニューヨークで1週間足らずのリハーサルを行い、7月21日にGaslight at the Au Go Goでジョン・リー・フッカーの前座としてデビュー。マクラフリンは「1stセットは不安定だったが、2ndセットで一気に化けた」と回想しています。そして結成から約1か月後の8月14日には、早くもCBSスタジオで本作を録音。生まれたてのバンドの勢いが、そのまま盤に刻まれているのです。
とはいえ中身はフリーキーな混沌ではありません。全8曲すべてがマクラフリンの作曲で、変拍子や場面転換を含む展開が緻密に設計され、その上で各人の即興が爆発します。マクラフリン自身は本作の背景に、サイケデリック革命や人種問題、ベトナム戦争といった激動の時代の空気を挙げており、まさに「内に秘めた炎」が音になったようなアルバムです。
参加メンバー
いずれも後のフュージョン史に名を残す5人です。管楽器がいないぶん、ギター・ヴァイオリン・キーボードの3者がフロントを担い合うのが本作のサウンドの核になっています。
- ジョン・マクラフリン(ギター) … 全8曲の作曲とプロデュースを手がけたリーダー。当時は「マハヴィシュヌ・ジョン・マクラフリン」名義でした。
- ジェリー・グッドマン(ヴァイオリン) … 元The Flockの米国人ヴァイオリニスト。ギターと対等に渡り合うフロントの一角です。
- ヤン・ハマー(ピアノ、キーボード) … チェコ出身。渡米後はサラ・ヴォーンの伴奏などで活動していました。
- リック・レアード(ベース) … アイルランド出身。ロンドン時代(ロニー・スコッツ周辺)からのマクラフリンの旧友です。
- ビリー・コブハム(ドラムス、パーカッション) … パナマ系米国人。本作の爆発的なドラミングで一躍注目を集めました。
全曲解説
オリジナルLPの曲順に沿って、全8曲(すべてジョン・マクラフリン作曲)を紹介します。
1. Meeting of the Spirits(作曲:ジョン・マクラフリン)
不穏なアルペジオ(コードの音を分散させて弾く奏法)のリフから立ち上がるオープナー。JazzTimes誌が「クラシック的な着想のミニチュア組曲」と形容したとおり場面が次々と展開し、バンドの神秘的な世界観を一発で提示する代表曲です。
2. Dawn(作曲:ジョン・マクラフリン)
「夜明け」の題名どおり、叙情的なテーマから徐々に熱を帯びていく曲。静と動の対比が聴きどころとされ、激烈な曲の合間で呼吸を整える存在です。
3. The Noonward Race(作曲:ジョン・マクラフリン)
タイトルどおりレースのような高速・高エネルギーのナンバー。コブハムの爆発的なドラミングと、マクラフリンの歪んだ高速ソロの応酬は本作屈指の聴きものです。後のライヴでも定番となった曲です。
4. A Lotus on Irish Streams(作曲:ジョン・マクラフリン)
アコースティックギター、ヴァイオリン、ピアノによる静謐な演奏で、Louder誌は「壊れそうなほど繊細(fragile)」と評しました。アイルランド出身のレアードを思わせる曲名も印象的です。
5. Vital Transformation(作曲:ジョン・マクラフリン)
9/8拍子とされる変拍子の上を突進する、ファンク色の濃い激走曲。JazzTimes誌が「くすぶるような激烈さ」と評したコブハムのドラムが全開になります。
6. The Dance of Maya(作曲:ジョン・マクラフリン)
10/8拍子とされる変拍子のアルペジオで幽玄に始まり、中盤で一転してブルース・シャッフル(跳ねるリズムのブルース)になだれ込む構成が有名。バンドの「神秘性」を象徴する曲としてしばしば言及されます。
7. You Know You Know(作曲:ジョン・マクラフリン)
シンプルなギターの反復モチーフが印象的な、抑制された幽玄なナンバー。フレーズの合間を縫うコブハムのドラム・フィルも聴きどころです。後年ヒップホップなどで数多くサンプリングされたことでも知られます。
8. Awakening(作曲:ジョン・マクラフリン)
ラストは一転して短い高速ナンバー。全員のユニゾン(複数の楽器で同じフレーズを弾くこと)と畳み掛けるソロ回しが聴きどころとされ、そのままアルバムを駆け抜けて締めくくります。
聴きどころ・なぜ名盤なのか
ジャズギターの歴史から見ると、本作は決定的な転換点です。ディストーション(歪んだ音色)と大音量、超高速ピッキング、変拍子やインド音楽の語法——それまでのジャズギターになかった要素を本格的に持ち込み、AllMusicに「事実上ジャズとロックのフュージョンを定義した」と言わしめました。ジェフ・ベックやプログレ、後のシュレッド系(超高速テクニック系)ギタリストにまで影響が及んだとされています。
アルバムとしての設計も見事です。「The Noonward Race」「Vital Transformation」のような激走曲の間に「A Lotus on Irish Streams」の静けさが置かれ、緊張と解放が交互に訪れる。静と動の対比で一枚を物語のように聴かせる構成力こそ、本作が名盤と呼ばれるゆえんでしょう。
評価の面でも、デビュー作ながら米Billboard 200で89位、Billboardジャズ・アルバム・チャートで11位を記録し、ジャズとロック双方の聴衆を獲得しました。当時は「技巧は圧倒的だが情感に乏しい」と評価が割れたものの、現在はAllMusicの5つ星満点をはじめ各ガイドで最高評価が並び、次作『Birds of Fire』(1973年)と並ぶ第1期マハヴィシュヌの金字塔とされています。
こんな人におすすめ
- ロック畑からジャズに入りたい人 … ロックの音圧とエネルギーはそのままに、ジャズの即興と構築美が味わえる格好の入口です。
- ジャズギターの「速弾き」の原点を知りたい人 … 後のフュージョン系ギターへ連なる高速ピッキングの出発点です。
- 変拍子やプログレが好きな人 … 9/8や10/8とされる変拍子リフの応酬は圧巻。日本でプログレ文脈から聴き継がれてきたのも頷けます。
- 激しい音楽は少し苦手という人 … 「A Lotus on Irish Streams」など美しいアコースティック曲もあり、静の側面から入るのも立派な聴き方です。
まとめ
『The Inner Mounting Flame』は、マイルス・デイヴィスのもとで名を上げたジョン・マクラフリンが、結成約1か月の多国籍バンドと一気呵成に録音した、フュージョンの原点というべきデビュー作です。管楽器ゼロの5人編成、全曲オリジナル、変拍子と超絶技巧、そして激走と静寂の対比。どこを取っても、1971年にこれが生まれた事実に驚かされます。
「内に秘めた炎」という邦題のとおり、このアルバムには噴き出す寸前の熱が最初から最後まで満ちています。まずは「Meeting of the Spirits」で炎の立ち上がりを、続けて「A Lotus on Irish Streams」で静かな水面を体験してみてください。その落差にはっとしたとき、あなたはもうこのバンドの世界の中にいます。
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